年末だというのに温かい午後だった。

 階段を上がって来られたのは、ワインレッドの上着に同色のマフラーを首に巻いた年配の男性。そんな組み合わせにも全く違和感がなく、こうした着こなしもあるんだと感心したのを思い出す。

 

 ネットで見ていらしたというその男性は、書棚を眺めながら切り出した。

 

「鎌倉に関する本なんですよね。実は父の蔵書がありましてね、それを引き取ってもらえませんか」

 

 聞けば、お父様がお医者さまだったとのこと。患者さんには作家もおりご本人からいただいた本もあるというのだ。贈書(寄付)大歓迎ですと伝えると、後日持参してくださることに。

 帰りがけにお名前をお聞きすると珍しい名字だった。どこかで聞き覚えがあったのだが、それは斜向いのビルにあるクリニックの看板。「今は兄が継いでいます」とのこと。

 

 夜、いらっしゃった鎌倉在住の会員さんにその名を尋ねてみた。

「あぁ、市役所の先、トンネルの前にあった病院ですね」

 斜め向かいのクリニックは分院のようで、現在は郊外に移転していることがわかった。

 

              * * * * *

 

 翌日、階段の方からガザゴソと音がするのでドアを開けると、昨日の男性が大きな紙袋を両手にさげて入っていらした。重さに絶えかね、一つの袋はすでに破れ始めている。

 

「下にまだあります」

 

下りていくとギッシリ本が詰まった段ボールが一箱。ようやく抱えると、古い紙の匂いとずしりとくる重さがうれしかった。

 

「若いころは親父の運転手もやらされてあちこち行ったものです。鎌倉文士と呼ばれていた方とはほとんどお会いしていると思います。トンさんのお宅ではよくお酒もいただいて。当時は悪い人ばかりいっぱい集まってね」

 

 と笑う。トンさんとは、里見弴さんのこと。重鎮の名前がさらりと出てくるところに驚く。

 

「じゃ、また寄ります」

 

 階段を下りる後ろ姿に僕はお礼を言いながら、今度は当時のエピソードをもっと聞かせてほしいと願うばかりだった。

 

 箱と袋から本を出してみると、テーブルの上には30冊近くが積み上がった。

 その多くが大佛次郎さんの単行本である。「天皇の世紀」「パリ燃ゆ」「道化師」など、詳しくはない僕でさえ知っているタイトルが並ぶ。贈書(寄付)いただいた本の奥付けを記録しようと開くと、万年筆のしっかりとした文字「大佛次郎」が目に飛び込んできた。そして、開く本、開く本に、同じ文字が見える。「作家さんから直接いただいた」という証だ。間違いなく大佛次郎さんがこの本を手にしていたのである。長い時を経て今、持つこちらの手が震えた。

 

 今度は里見弴さんの「羽左衛門伝説」「河豚」「満支一見」・・・こちらにも著者のサインが。贈書くださった男性は、お父様が「トンさん」から受け取る場面に居合わせたかもしれない。そう思うと、ますますお話を聞きたくなる。

 

「古本屋にでもと思ったのですが、どこへ行ってしまうかわからないし、チェーン店に引き取ってもらうと廃棄されるかもしれないので。それよりみなさんに喜んでもらえる所にと考えて」

 と、思い出の詰まった大切な本を、一銭にもならない「かまくら駅前蔵書室」に贈書いただいたのである。本当にありがたい。人から人へ繋がれるバトンを、僕らは確かに受け取ったのだ。

 今では考えられないほどの凝った装丁、手触り、黄ばんだ紙、活版の文字、重さ、匂い、パラフィン紙の音を感じながら、僕は一冊一冊書棚に収めたのである。

 

 

 ワインレッドの服で男性が訪ねてくださったのはクリスマスイブ。そして翌日のとびきりのプレゼント。あの方はソリに乗ってやって来たのではないかと思えてきた。

 ただ、煙突から下りてきたのではなく、暗くて狭くて急な階段を上って。

 

 

鎌倉の本が紡いでいく物語